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ルイ・ヴィトン

売るなら「かいとる」

高価買取実施中

ルイ・ヴィトン買取ならかいとるがおすすめ!ただいま買取価格強化中です!

ルイ・ヴィトン買取〈LOUIS VUITTON〉ならかいとるにお任せください!モノグラム、ダミエ、ヴェルニ、エピ、タイガなど、エレガンスさと機能美を兼ね備えたコレクションは世界中の女性達から圧倒的な支持を得ています。当店ではメンズ・レディス・アクセサリやノベルティに至るまで幅広い品目をカバーし、買取業界最大級のメリットを活かした高価買取でお客様にご満足いただいています。LINEにて買取査定も対応しております。

ルイ・ヴィトンの高価買取で口コミ多数!モノグラム・ダミエ・エピなどボロボロでも納得の買取価格!

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圧倒的な市場調査と多種多様な売却ルート 日々入念な調査、研究を行い、 常に最新の市場動向・買取相場の情報を保持しています。 しっかりと市場の状況を的確に見定めた上で、 国内・海外など業界最大級の流通ネットワークを活かした 売却ルートを使用するため、安定感と高水準を両立させた 買取価格を実現しています。

バッグ・財布は古いモデル、ボロボロでも査定無料でお買取可能 かいとるではヴィトンの古いモデルでも1点から査定可能です。査定はもちろん無料で行ないます。目立つキズや汚れ、部品の欠けなど、どんなものでも査定可能です。古いものほど、ヴィンテージ扱いで価値が高まるケースもございます。売れるかどうかご不安でしたらまずはお気軽にお問い合わせください。

ルイ・ヴィトン買取ランキング

モノグラム

ルイ・ヴィトンの創始者のイニシャルを配したこの模様は、当時パリの万国博覧会をきっかけに大流行していたジャポニズムの影響を強く受けた2代目当主ジョルジュ・ヴィトンが考案したデザインで、日本の家紋をモチーフにして作られました。モノグラム柄が日本で特に人気があるのも、日本人に馴染みのあるデザインだからなのかもしれません。発売当時のモノグラムモチーフは、現在のようなプリント加工ではなく、職人の手により一つ一つ手描きで仕上げられていました。

ダミエ

チェス盤を模したベージュと茶褐色の格子柄にルイ・ヴィトンの銘が入ったダミエ・ライン。モノグラム同様に、パリ万博後にフランスで日本ブームが沸き起こり、日本の市松模様にヒントを得て開発されました。ヴィトンの歴史上ではモノグラムより古いラインで、モノグラム登場後一時期ラインからは消えましたが、モノグラム100年記念として復刻。その際、予想以上に人気を博した為、その後に定番化され現在に至ります。優美な雰囲気で大人っぽい印象の商品になります。

ヴェルニ

ヴェルニはフランス語でエナメルを意味します。カーフスキンにエナメルを施し、ロゴを型押ししたデザインは他のラインでは見られないほど明るく鮮やかなラインナップです。ベビーブルー、ソフトベージュ、オレンジ、シルバーグレー、ピンク、ペパーミント等のカラーリングがあります。1998年のコレクションに合わせて初めて作られました。マーク・ジェイコブス氏が開発。ヴェルニは活動的でファッショナブルなイメージでまさに現代的な女性にぴったりのラインです。

ルイ・ヴィトン買取可能一覧

モノグラム

モノグラム・ミニ

ダミエ(エベヌ)

ダミエアズール

ヴェルニ

マルチカラー

エピ

タイガ

ダミエ・グラフィット

マヒナ

モノグラム・デニム

モノグラムチェリー

アンプラント

ルイ・ヴィトンの買取実績

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
店頭買取

ルイ・ヴィトン ダミエグラフィット N63095 ジッピーウォレット・ヴェルディカ お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
店頭買取

ルイ・ヴィトン エピ M59022 スピーディー30 お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
店頭買取

ルイ・ヴィトン マヒナ M62541 ポルトフォイユイリス お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
店頭買取

ルイ・ヴィトン ダミエ N23293 ベガス45 お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
店頭買取

ルイ・ヴィトン M72432 エシャルプ ロゴマニア お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
店頭買取

ルイ・ヴィトン M9578W サンチュール・クチュール お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
店頭買取

ルイ・ヴィトン M40257 ジュディPM お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
店頭買取

ルイ・ヴィトン M51870 ポシェット ガンジュ お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン モノグラム M63024 シガレットケース お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン ダミエアズール N51112 ポシェット・ボスフォール お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン モノグラム M45266 ダヌーブ お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン タイガ M32617 ジッピーコインパース お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトンモノグラム M60042 ポルトフォイユ・アンソリット お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン モノグラム M42256 ソミュール30 お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン エピ M64007 ポルトフォイユ・スマート お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン ヴェルニ M93522 ジッピーウォレット お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン モノグラム M41414 キーポル55 お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン モノグラム M56390 オデオンPM お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン モノグラム M51136 モンスリMM お買取致しました

高価買取はかいとる(北綾瀬・西新井)
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ルイ・ヴィトン モノグラム M51265 ブローニュ お買取致しました

ルイ・ヴィトン-ブランドバッグ・財布|足立区で、チケット、貴金属、ブランド品高く売るなら「かいとる」

高く売る為のチェックポイント!高く売る為のチェックポイント!

POINT1

購入したときの付属品は
全てお持ちください!

ご購入時の箱・保存袋・ギャランティカード・予備部品などがあると査定額アップ!

POINT2

使わないと思ったら
早めにお持ちください!

ブランド物も皮や金属製。お手入れせずに置いておくと少しずつ劣化していきます。

POINT3

まとめての
お持ち込みがお得です!

他にも使わない物・売りたい物があればまとめてお持ちください!大量持ち込みで査定額アップ!

POINT4

簡単にお手入れして
いただければなおOK‼

カバンの中のホコリや汚れを簡単に拭くだけでグッと綺麗に見えることも!

世界中から憧れのまなざしを受ける、ブランド品の代名詞と言っても過言ではないビッグネーム「ルイ・ヴィトン」。日本国内だけで年間1500億円以上を売り上げ、そのデザインの美しさと高い実用性などの理由で世界で最も愛されているフランスの一流ブランドです。歴史は古く、時代は1854年にまで遡ります。創業者は現在のブランド名になっている、ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)。ルイ・ヴィトンが生まれたのは、1821年。日本で言えば伊能忠敬の日本全図が完成、ペリー来航の時代です。ルイ・ヴィトンはあまり裕福とは言えない境遇で育ち、1835年、とうとう義母との折り合いが悪くなりほとんどお金を持たないまま家出します。その後行き着いたのは当時「光の都」と言われていたパリでした。元々、父の影響で職人として働いていたルイ・ヴィトン。ルイ・ヴィトンはパリで、トランク製造兼荷造り職人として働き始めます。ここで才能を発揮したルイ・ヴィトンは1854年当時世界初となる旅行用バッグの専門店を立ち上げます。当時の旅行用バッグとしては、豚革でできた丸いフォルムのバッグが主流でした。当時の移動手段としては馬車が主流でしたから、馬車の後の荷台に積むには丸いバッグの方が適していた訳です。しかし、革製のバッグは水に弱くとても重いという難点がありました。その頃は急激なスピードで輸送技術が発達した時代で、馬車から船や機関車に移動手段が発展していきます。1858年、時代の変化に気が付いたルイは画期的なトランクを発売します。トランクをポプラ材で軽量化し船や機関車で積み重ねて固定できる平らな形状、軽いコットン素材に防水加工を施した「グリ・トリアノン」です。実用性も兼ね備え、モダンで明るいグレーのキャンバス地の平型トランクは一躍評判を呼び、1867年パリ万博で銅メダルを授与、世界的な評判を獲得し、名実共にハイブランドへと成長していきます。ルイ・ヴィトン買取はブランド買取市場で最も多い買取のブランド商品でもあります。それだけ多く売られている人気ブランドです。

ルイ・ヴィトンの歴史 ルイ・ヴィトンがシティバッグの製造を開始したのは、20世紀初頭にバッグがさまざまな装いに必要不可欠なアイテムとしての存在価値を確立したのと同時期になります。トランク専門の製造業者として1854年に創業したルイ・ヴィトンは、事業の発展に伴い、レザー素材のバッグの製造に乗り出します。工業技術の進歩が著しかった時代に、社会の進歩や時代のエッセンスを身近な服飾品の中に凝縮させる力量を持っており、この挑戦によって強みを増していきます。1880年にはジョルジュ・ヴィトンが、アニエール=シュル=セーヌのアトリエを増設し、皮革製服飾雑貨部門を立ち上げます。レディースのハンドバッグがルイ・ヴィトンのカタログにはじめて登場するのは1892年です。公式記録によれば、もっとも古いカタログになります。ヴィトンはこの2つの出来事の間に方向転換をはかり、主力製品をトランクからハンドバッグに切り替えます。ブランドを象徴するあらゆるアイコンバッグを世に送り出していく準備は、この段階で整いました。創業者の息子であるジョルジュ・ヴィトンは、父親の業績を引き継ぎながら、新しい課題として、女性たちのワードローブに加わるべきアイテムをデザインする仕事に打ち込みました。ハンドバッグは、約束された将来への導き手でした。誰もが欲しがるこのファッション雑貨を時代のスピリットと共振させていくという果てしない探求は、ここからスタートしました。ルイ・ヴィトンのバッグを唯一無二の存在としているのは、品質の一貫性であり、原則を忠実に守りながら、多種多様なフォルムと機能のバリエーションを生み出し、巨大な系譜を作り上げたことにあります。そこでは新作モデルが過去のモデルと心を通わせ、示唆に富む言葉を交わし合うことができます。

周囲の情勢が、こうしたレザーバッグの開発を歓迎するものだったことも大きくありました。旅行の形態は現代化されつつあり、衣服のデザインやショッピングの方法も進化しました。汽車や自動車や船を利用する新しい時代の旅のあり方を見据え、ルイ・ヴィトンはバッグの規格を統一し、持ちやすさと実用性を重視しました。ハンドルがついたレザーのハンドバッグは、旅行者が手元に置いておくことができ、木の本体に布を張ったスティーマー・トランクのサブバッグとして重宝します。持ち歩きのできる手にさげるタイプのバッグの先駆けとして、グラッドストン・バッグが発売されたのは1885年になります。このバッグは今も、ヘリテージ・コレクションに保存されています。1892年のカタログにはサック・ド・ニュイも登場し、セミソフトタイプのレザー・バッグの可能性を探求する方向へ、大きな1歩を踏み出します。1900年頃に発表されたスティーマー・バッグは、より規格化が進み、折り畳んでトランク内に収納し、必要な時だけ広げて使えたので、大西洋を横断する船のキャビンで、リネン類や土産物を入れるのに最適なサブバッグとなりました。自動車旅行では、1890年に発表された洗面キット、1892年のカタログに掲載されたサック・ガルニ(フィッテド・バッグ、洗面化粧用品キット)、サック・ド・ニュイ(オーバーナイト・バッグ)、あるいは綿麻素材のサック・ア・ランジュ(ランドリー・バッグ)などが、トランクに足りない機能を補うバッグとして活躍します。トランクは車体の後部に積んだままにしておけるようになりました。ただしトランクはまだ重く、ポーターのサービスを必要としました。同じ頃、汽車旅行でも、別のタイプの小型で軽いバッグへの需要が生まれました。汽車では乗客がコンパートメントに閉じこもっていなければならず、快適に過ごすための便利な設備がありませんでした。1900年前後には、身体にぴったりフィットするヒップハングのスカートが新たな流行として登場しますが、このシルエットだとポケットがつけられません。それまではアンダースカートの内側に小さな布の袋を吊りさげ、そこに身の回りの小物を隠し持っておけましたが、それができなくなりました。それに代わるものとして注目を浴びたのが、レディースのバッグになります。ルイ・ヴィトンは1892年の時点でカタログに「LVのレディース・ハンドバッグ」という欄を設けており、ファッション界における新しい動向に対応する準備があることは証明済みでした。また1つのトレンドとしてショッピングがありました。ショッピングは、まだ都市部における娯楽の1つとして定着するには至りませんでしたが、余暇の過ごし方として関心を集めていました。女性たちはショッピングを口実に外に出かけ、ウインドウショッピングを楽しみ、店先に並ぶ品々を熱心に物色しました。鍵、ハンカチーフ、小銭などの細々した携帯品を入れて持ち歩けるハンドバッグは、温かく居心地のよい自宅と、誘惑に満ちた公共の場を、不安なく結びつけるのに一役買ったのです。

1903年のカタログでルイ・ヴィトンは、黒のモロッコ・レザーとピッグスキン・レザーのレディース・ハンドバッグを、20、25、30、35cmの4通りのサイズ展開で提案します。これなら使い手は、外出先でどの程度の「ちょっとした買い物」をするかに応じて使い分けができます。自家用車での外出にとフラット型のバッグも数通りのサイズが用意され、身の回りの小物類や旅行用の携帯品を持ち歩くのに役立ちました。バッグというアイテムが、中身に応じて使い分けるのが望ましいことを、ルイ・ヴィトンが見通していたことは明らかでした。当時のバッグ市場には、1つの傾向がありました。アイテムの機能や特性よりも、個々のモデルやシリーズの名称に多大な関心が払われていました。旅や日常からの解放をテーマに、輝かしい歴史を持つ通り、由緒ある土地、河川、行楽地、異国情緒豊かな都市などの名前が選ばれました。

偉大なるクチュリエ、ポール・ポワレによってファッション界が転機を迎えたのは、1906年頃になります。ベル・エポックの旧式のシルエットに別れを告げた彼の服は、ナポレオン時代(エンパイア時代)の古典的なチュニックからヒントを得て、コルセットをなくしたデザインでした。ハイ・ウェストで裾が広がらず直線的なスカートは、「I字形」シルエットを形作り、ドレスを着て歩くためには、レティキュールを持ち歩くことが再び必要になりました。レティキュールとは、長い引きひものついた小物入れのことで、その名称は古代ローマの網目細工、レティキュラムに由来します。ルイ・ヴィトンは、ファッション界に起きたこの変化を受け、1910年のカタログ「La Promenade des elegants』に、数々のレティキュールを登場させます。ピエール=エミール・ルグランのイラストに描かれた、スカートスーツ姿のエレガントな女性たちは、レザー、シールスキン、リザード・スネークスキンのバッグを持っています。他方、タッサーシルク、ヴェルヴェット、「ジャパニーズ」シルク、アンティークの刺繍入りシルクなどを素材とするバッグを持つのは、観劇用ドレスに身を包んだ女性たちです。留め具には銅、ブロンズ、銀、金が使われ、ハンドルの端にはタッセルがさがっています。「エレガントな女性たちはもはやたった1つのバッグだけでは満足しない」ことをこのカタログは告げ、真に必要とされるレディース・バッグ「一揃い」を提案しています。こうして、この頃にバッグは、ショッピング用の四角または長方形の大型バッグと、「極めてエレガントな」シティ・バッグにグループ分けされました。厚みがあまりなく、「これまでにない軽さと持ちやすさ」を誇るシティ・バッグのおかげで、お抱え運転手を連れて自家用車で外出するような身分の高い女性は、身の回りのかさばる小物を車に置いたまま歩き回れるようになりました。

1914年は、ルイ・ヴィトンにとって特別な年となりました。シャンゼリゼ通りに、世界最大のバッグ専門店となる立派なストアがオープンしたからです。開店を祝し作成された65ページの分厚い力タログは、レディース・バッグで埋め尽くされていました。しかしほどなく第一次世界大戦が勃発し、事業を大幅に縮小せざるを得なくなります。世界でもっとも美しい通りに位置する新店舗でさえ、フラット型のシティ・バッグの売り上げは、シンプルなものも装飾性の高いものも、軒並み減少しました。金具の原料不足を受けて考案されたポロネというモデルの生産も、1922年頃には打ち切られました。

戦争の勃発と同時に製品の総合カタログは作られなくなり、代わりに、小さな中に魅力が詰まった個々の製品別パンフレットが作成されました。凝ったイラストを使い、丁寧にデザインされたパンフレットには、アートの歴史にちなんだモチーフがしばしば使われ、ハンドバッグは、新しいアーティスティックな文脈の中に位置づけられました。その中で光が当てられたのは、プレゼントを贈る喜びと、ハンドバッグの贈り物としての新しい可能性でした。服やヘアスタイル、メイク、ジュエリーと同じレベルで、バッグも実用性より美しく装うためのアイテムという性質が濃くなり、バッグを持つ洗練された女性の姿が称賛されました。ルイ・ヴィトンのバッグが雑誌『Femina』『L’Art et la Mode』『Excelsior』などの誌面に登場するようになったのもこの頃になります。

パーティーとダンスに人々が明け暮れた、”狂騒の20年代”には、夜ごとの集いに似合う華やかな服装が求められました。タンゴやチャールストンを踊るためのドレスにはスパンコールやフリンジがたっぷりと施され、照明でキラキラ光ります。そうしたドレスに似合うように、アクセサリー類も洗練されていきました。エクストラドライのシャンパーニュが次々に飲み干されていくナイトクラブで女性たちは、ギャルソンの手を借りつつ、お酒落なミノディェール(化粧ポーチ)をつねに手元に置き、メイク直しをしました。当時のルイ・ヴィトンのカタログには、鏡がつき、ファンデーション、口紅、ハンカチ、ヘアピン、財布、タバコなどを入れる仕切りのあるヴァニティ・ケースやフィーユが登場します。昼の街も、クラッチ・バッグを手にすることでシャペロン(つき添い)を連れ歩く必要がなくなった若い女性たちで活気づいていました。彼女たちが好んで着たのは、アール・デコ調のすっきりした幾何学フォルムのドレスです。ルイ・ヴィトンは、フラット型のポシェットだけでなく、ドーフィーヌなどの装飾性の高いショルダー・バッグにも、アール・デコのモチーフを大胆に取り入れました。中でも抜群の完成度を誇ったのは、雑誌『Mobilier et Decoration,』1925年7月号に掲載されたモデル、または同年に開催されたパリ万国博覧会の出展品になります。自由を手にした新時代の女性たちの社会的立場の多様性を踏まえ、観劇用、ダンスパーティー用、シティ用、スポーツ用など、各種のバッグを目的別に提案しました。

1920年代には、ファッショナブルであることが現代的とされました。現代的であるためには、冬はスキーを、夏はテニスやゴルフを楽しむなど、スポーツ好きであることが必須でした。若い女性たちは自分でマイカーを運転し、レーシングカーで時速100kmを超えるスピードを出して記録を塗り替えていく女性ドライバーも現れました。ガストン=ルイ・ヴィトンの顧客には著名人も多く、オート・クチュール界からはジャン・パトゥ、ポール・ポワレ、ジャンヌ・ランヴァン、そしてガブリエル・シャネルといった大物たちが名を連ねました。リュ・カンボンのクチュリエがトラウザーとストライプのセーラー・シャツに身を包むようになると、あらゆる服飾メーカーが独自のスポーツウェアの開発に乗り出し、ルイ・ヴィトンはこの時期、サック・ア・ランジュのフォルムを発展させたサック・マリーンを世に送り出しました。さらに、コットン・キャンパスのキーポル、別名「ティアン・トウ」または「グローブ・トロッター」や、1930年前後にはスピーディを発表し、現代性という概念がスピーディな動きによって表現された当時の社会において、週末用のバッグの真のパイオニアとなりました。軽い持ちごこちのバッグとして他にはアルマの先祖にあたる1934年のスクワイア・バッグ、サック・ド・プラージュ、そしていくつかのバケツ型バッグなどがあります。1930年代に入ると、上流社会の人々が空の旅を楽しみはじめますが、それはまだ、どこか冒険に近いものでした。1933年に設立されたエール・フランスは、旅客機を離陸させる前に、乗客 と荷物の総重量を正しく測って安全を期しました。客室乗務員は、体重が60kg以下の乗客しか通すことができず、体格のよすぎる乗客は、搭乗許可をもらえずに、地上に残らなければならない恐れがありました。やがて第二次世界大戦が勃発し、人々が観光旅行を楽しむ機会は減りましたが、大型多目的バッグへの需要は増え続けました。

1896年に発表された当初は硬質な素材が使われたモノグラム・キャンバスですが、1959年にソフトタイプが開発され、ルイ・ヴィトンのシティ・バッグのデザインは新たな輝きを獲得しました。価格が手頃で軽く柔軟性が高いモノグラム・キャンバスの登場で、客層はぐっと広がりました。スピーディやキーポルなどの機能性とフォルムは、一段と進化しました。新素材の利点が特に活かされた最初のアイコンバッグの1つがノエです。1932年に、シャンパーニュのボトルを5本持ち運ぷことができるバッグとしてレザーで製造されたノエですが、1960年頃にモノグラム・キャンバス版が誕生すると、ファッショナブルなアイテムへと変貌を遂げるようになります。当時の女性誌を見ても、このヴァージョンが大成功であったことがよくわかります。ノエと双子の関係にあたるバケットも、特にアメリカの顧客からの要望が多かったことを受け、1968年にモノグラム・キャンバス版が作られました。

1960年代には、若者文化が、先行世代とは反対方向に向い、社会への享楽的なビジョンを下敷きにした新しいライフスタイルが提唱されました。若い女性たちは、過去の年月でいかにもブルジョワっぽい雰囲気が染みついたハンドバッグを手放し、代わりにトートバッグやスクールバッグで軽快に装いました。ルイ・ヴィトンも、1968年の五月革命がもたらした自由な空気を映し出すバッグを開発しました。広く世の中が余暇社会となったため、夏の休暇には行楽客がこぞって地中海のビーチに足を運び、カプリ島やサン=トロぺでは、おしゃれな人々が腕に得意気にビーチ・バッグをさげて、映画や雑誌が描き出す世界に対する庶民の夢を具現しました。オードリー・ヘプバーンが力スタム・ヴァージョンを特注したことで有名になったのはスピーディです。モデルのツイッギーが愛用し、その成功に大きく貢献したのは、キーポルのバリエーションとして1966年にデザインされたパピヨンになります。1970年代には、自然回帰の風潮が高まるとともに、型にはまらない生き方が志向され、都会の人々が自然との調和を求めて田舎や辺境の地を訪れました。ショルダー・ストラップつきのバッグは、そうした「クール」な生き方を象徴するアイテムであり、ベルボトムのジーンズやショートパンツやロングスカートに合わせるバッグとして急速に普及しました。1978年にはルイ・ヴィトンも、自然を愛するハイカーのためのバッグとしてランドネを発表しました。

1970年代の終わり頃、ルイ・ヴィトンは新たな領域の征服を目指し、重要な転換をはかります。販売網の拡大による、国際規模でのさらなる顧客獲得です。1978年には日本初のストアが東京に、1981年にはニューヨークにオープンします。新戦略は、つねに探求を重ねて新機軸を求めるブランド創設以来の企業理念に新たな推進力を与え、異なる文化圏でのそれぞれの使い方に応じた新製品がデザインされていきました。成功のカギの1つとなったのは、どの製品にも、ルイ・ヴィトンを愛用する顧客ならすぐにわかる馴染み深い要素を組み込み、新しく使いやすいデザインにしたことです。一般に女性たちは、季節の違いや外出の目的に合わせて使い分けられるよう、いくつかのバッグを持ち、できるだけ長く使おうとします。持ち主の手入れがよければ、耐用年数は10年を超えます。しかし1978年頃にルイ・ヴィトンは、このような皮革製品に対する古風な考え方からの差別化を決意します。その第一歩として企画されたエットレ・ソットサス、ガエ・アウレンティ、マリオ・ベリーニ、クリノ・カステリ等との賛沢なコラボレーションは、コレクションにかつてない新鮮な空気を吹き込みました。さらに、独立系のデザイナーとしてシューズ・デザインの分野で活躍していたカミーユ・ウングリックに協力を呼びかけ、そのスキルをハンドバッグの分野に応用し、新しいデザインに結実させました。こうした分野横断的アプローチから生み出されたのがサンクルー、シャンティー、サンリスなどになります。1982年にはデザイナー、グザヴィエ・ディソがルイ・ヴィトンに入社し、総合デザイン部門を立ち上げます。過去のプロジェクトに参加した名だたるデザイナーたちの活躍に触発され、新たな発明への好奇心を膨らませ、本格的な実験室を設置して研究チームを編成し、最新技術を駆使して合成素材の研究を進めました。ケプラー(アラミド繊維)と炭素繊維の実用化に誰よりも早く取り組んだ研究チームは、伝統的なバッグの製造技術とこれらの画期的な新素材の融合に成功します。マドンナが出演した映画『マドンナのスーザンを探して』が1985年に公開された時、その中で手にしていたルイ・ヴィトンのボワット・シャポーへの注文が殺到し、業界を驚かせるほどの大流行となったのは周知の事実ですが、これがハイテク技術のたまものであることに気づく顧客はいなかったかもしれません。蓋の内側に隠れる炭素繊維は、このアイテムを一段と軽く、丈夫なものにしていたのです。

1980年代の目覚ましい成功を支えたのは、キャリアウーマン、成功者、トップ・アスリート、ロックスターなど、時代の寵児たちによって表現された力強いイメージへの憧れです。ジョギング人気の高まりがアメリカからヨーロッパへと広まったのは、健康でたくましいボディを手に入れることが自律した個人の象徴と捉えられたためですが、その結果、両手を空けておけるシティ・バッグへの需要が生まれました。ルイ・ヴィトンのバックパックがとびきりファッショナブルなアイテムとされ、同時に小振りなサコッシュベベ・サンクルー、ポシェット・スクレット、マルリー、ヒューストンなどのバッグも人気を博しました。1985年には、溌刺とした活動的な雰囲気を表現するエピ・レザーのラインが登場します。耐久性のある型押しの革は、かっちりとしたデザインのバッグに適し、サン・ジャック、クリュニー、ゴブランといった幾何学的な形状のバッグが作られました。長期にわたり大ヒットするこのエピのラインは、ルイ・ヴィトンのバッグに色の革命を起こし、それが1980年代に流行した「シック・エ・ショック(chic et choc)」のスタイルと呼応しました。さらにエピのラインで展開されたのが、この時代にもう1つした黒のシリーズになります。1983年にアタッシュ・ケースが、1984年にはポルトドキュマン.ヴォワイヤージュ(ブリーフケース)、1986年にはサコッシュエピ・レザーが誕生し、男女を問わず、洗練された大人たちの問で大評判となりました。

1990年代初頭には、スティーマー・バッグ、キーポル、スピーディといったブランドを代表するバッグが、格式あるシティ・バッグとして生まれ変わりました。旅行バッグとされていたスピーディは、何でも入る大型のハンドバッグとなり、今も高い人気があります。カシュ・プレッドはヴォワイヤージュモデルのブリーフケースに、エクスプローラーズ・カメラ・バッグはアマゾンになりました。フィードルバッグ・サドルバッグが見事な復活を遂げたのは、1996年になります。1994年には、黒で人気を博したトライアングルとカンヌが鮮やかな色で再登場し、前者は黄、後者は赤が大ヒットしました。そして、1992年にはついにアルマがシティ・バッグとして再出発し、同ブランドを象徴する定番モデルとして揺るぎないものになりました。90年代は、空港や定期航空路の拡充と、経済面でのグローバル化により、旅慣れた旅行者が増えた時代になります。ルイ・ヴィトンは、スーツケースの実用性を高めるアイデアを探りました。アジア圏の旅行者がよく使うスーツケースには、荷物を分類して収納するための内ポケットが15個ほどついていました。そこからヒントを得て、自身の伝統的なバッグ作りの手法と融合させ、大きなトランクの内部を取り外し可能な補助バッグでいくつも仕切る方法を考案しました。このアイデアはシティ・バッグにも応用され、ポシェット・アクセソワールの成功へとつながりました。同じアイデアに基づき、パピヨンには、ゴルフボールケースに似た小振りな円筒形のポーチをつけました。このポーチをショルダー・ストラップに引っかけ、バッグ本体の外側にさげる使い方を真っ先にはじめたのが日本人になります。盗みに対する警戒心の強いヨーロッパ人には想像もできない思いつきでした。日本の女性たちは、ランチタイムになると、この実用的な小さいポーチを本体から取り外し、臨時のバッグとして単独で使います。バッグの中に入れておくはずの付属品を1つの独立したシティ・バッグとして使う方法を他国の人々が真似しはじめたのは4~5年も経ってからになります。本体の外に出して使うことが可能なこうした付属品は、母親世代にも娘世代にも喜ばれ、1990年代の主要なファッション・トレンドの1つとなりました。イヴニング・バッグに似ていながら肩にかけられるルイ・ヴィトンのポシェットは、若い女性たちの1つ目の高級ブランド品としてちょうどよく、洗練された小型のハンドバッグが似合う大人の仲間入りをするための通過儀礼として、彼女たちの心を躍らせました。ポシェットはまた、腕にさげて持てば、レディース・ハンドバッグを若々しく再デザインしたバッグに見えます。こうしてルイ・ヴィトンのポシェットは、長い歴史の中で、ハンドバッグというアイテムと同時に、ブランドそのものを若返らせる役割を果たしました。

1990年代にルイ・ヴィトンは、機能性だけを基準にさまざまな型を個別にデザインする方法を改め、製品ラインを設定して、一目で見分けられる特徴的なパーツを共有させるという、現代的なアプローチを採用しました。例えばモンスリ・バックパックは、ランドネの底面とノエのボディとビバリーのフラップの組み合わせになります。こうしたデザインの一貫性に対する意識は、ダヌーブ、アマゾン、トロカデロ、ナイルで構成されるフルーヴのラインを揺るぎない成功に導きました。モンソーに代表されるセリエのラインも、サドル・ステッチとくっきり形作られた輪郭とSロックという共通の特徴が際立ちます。しかし、全体的な状況を突き動かし、伝統的なハンドバッグの売り上げを回復させたのは、LVMHグループのCEOベルナール・アルノーの主導で成し遂げられた、ブランドの大変身になります。ルイ・ヴィトンは、プレタポルテに参入したのです。ベルナール・アルノーの選任により、1990年から2012年まではイヴ・カルセルがルイ・ヴィトンのCEOを務め、彼らに率いられて豊かな遺産に恵まれた現代企業として生まれ変わり、ファッション界と高級ブランド市場で中心的役割を果たしていきます。エコール・ポリテクニークの卒業生であるカルセルは、戦略・開発担当ディレクターとなり、短期的なビジョンと長期的なビジョンをつなぎ合わせた大胆な賭けを遂行しました。

進化の第一段階が起きたのは、1996年のモノグラム・キャンバス生誕100周年祭になります。ジャン=マルク・ルビエとジャン=ジャック・ピカールの協議に、若いエディ・スリマンの助言が加わり、7人のもっとも才能ある独立系デザイナーが選ばれて、バッグづくりの全権委任状が渡されました。その7人とは、アズディン・アライア、ヴィヴィアン・ウエストウッド、マノロ・ブラニク、ヘルムート・ラング、ロメオ・ジリ、シビラ、アイザック・ミズラヒです。デザイナーたちは、モノグラム・キャンバスを使い、自由にバッグをデザインするという、誰もが驚く革新的な創作ゲームに参加することになりました。アズディン・アライアは、即座にヒョウ柄を使ったアルマのデザイン案を形にし、ルイ・ヴィトンの担当チームを仰天させました。ハサミを手にしたこのデザイナーは、型紙もないまま布地をジャキジャキと切り、バッグに結びつけたのです。まるで手品のように、バッグの完成見本が現れました。いつものハンドルが消え、ヒョウ柄のポニースキンが赤ちゃんの抱っこひもの要領で巻きつけられたアルマです。ヘルムート・ラングは、テレフォンケースから発想を膨らませてDJのためのレコード用ハードケースをデザインし、ファッショナブルなヒップホップシーンのスピリットを表現しました。ルイ・ヴィトンは、ファンタジーとオリジナリティを表現できるブランドであり、そうした特質は、バッグと皮革製品を扱う伝統あるブランドという格調高いイメージと決して矛盾しません。ベルナール・アルノーはさらに、1997年にプレタポルテ部門を立ち上げ、デザイナー、マーク・ジェイコブスを起用することで、ルイ・ヴィトンがファッション界の一員であることを明確に打ち出します。ジェイコブスは、優れた技術と長い歳月で培われた経験を持つルイ・ヴィトンでなら、どんなに途方もない夢も実現し得ることを理解していました。1998年、パテント・レザー(エナメル素材)に型押しを施したモノグラム・バッグのデザインを開始します。以後、女性のハンドバッグの分野で独創的な試みが堰を切ったようにあふれ出し、バッグはアイデンティティのあるファッション雑貨として、シーズンごとの最新ファッションに大きな影響力を及ぼすアイテムとなりました。

マーク・ジェイコブスが新しいハンドバッグ工房を組織する間、古くからのスタジオは定番ラインの見直しに集中しました。ブランドの系譜を検証し、偉大なる先祖の遺産に再考を加えて、都会的な顧客に似合うようバランスを調整する作業です。2007年のネヴァーフルは、1960年代のビーチ・バッグの流れを受け継ぎながら、サイズを中程度に抑えた新作であり、ニースは、1920年代のヴァニティ・ケースの現代版です。また、1999年のルーピングやネオ・メッセンジャーなどは、テクノ音楽やレイヴの影響でDJバッグの流行を受け、いくつかの古典的なバッグを下敷きにしてショルダー・ストラップを追加したモデルです。2001年にはマーク・ジェイコブスがアート業界に襲撃をかけ、アーティスト、スティーブン・スプラウスとコラボレーションを行い、一連のバッグ・コレクションをランウェイで発表しました。モノグラム・キャンバスを覆い尽くすスティーブン・スプラウスのグラフィティは、怖いもの知らずの大胆さでブランドイメージを強力に増幅させました。以後も村上隆(2003年)、リチャード・プリンス(2007年)、ソフィア・コッポラ(2009年)、草間禰生(2012年)らとの間で、アートとファッションとの対話は続けられていきます。アーティスト村上隆が再解釈したモノグラム・キャンバスの成功には、このブランドに対するマーク・ジェイコブスのヴィジョンが反映されています。2006年には、シャンゼリゼのルイ・ヴィトンにオープンしたエスパス・キュルチュレルで『Icons』展が開かれ、選ばれたアーティストたちがアイコンバッグを素材に作品を制作し、展示しました。例えばシルヴィ・フルーリーの素材はキーポル、ザハ・ハディドはバケット、アンドレ・プットマンはスティーマー・バッグ、坂茂はパピヨンでした。

次の10年が幕を開けた2010年、ルイ・ヴィトンのシティ・バッグは、市場で主流となったネオ・ミニマリズムのトレンドを見据え、全体的に攻めの姿勢が抑えられました。結果、バッグのサイズは小さくなり、ロゴや各種の遺伝子コードは目立たなくなりました。例えばモノグラム・アンプラントは、柔らかいカーフスキンに控えめにエンボス加工を施したバッグであり、稀少な外国産のレザーの質のよさが際立つよう、ベーシックなフォルムが再解釈されています。1958年のフール・トウの直系の子孫として2006年に新たに発表されたロックイットは、クロコダイルをはじめとする最高級のレザーで、よりラグジュアリーな方向に進化しています。この流れに沿って、皮革製品部門のデザイン・ディレクター、ニコラス・ナイトリーが研究チームを率いて新たに取り組んだのは、アルマ、ノエ、スピーディ、キーポル、ネヴァーフルに最高級のレザーを使い、細部のデザインや全体のバランスを調整して、新たな進化を遂げさせる試みでした。2013年には、一連の研究の締め括りとして、柔らかな仕上げのエピを発表し、本来は硬質であるはずのレザーという素材に真っ向から挑みました。ロックイットは、専門のオート・マロキネリー(高級皮革製品)・サロンだけに生産を任せる方式となりました。1980年代に流行った小振りなバッグをヒントに、「真の、伝統ある、マロキネリー(皮革製品)らしい、少しだけ古めかしい特徴」を持つようデザインされたのは、ゴールドの金具のついたジュリエットです。機能性と古くからの特徴を併せ持つデザインは、街行く人々の新しいバッグの持ち方によく馴染みます。イヴニング・バッグにもなるし、大きなハンドバッグのバッグ・イン・バッグとしても使えるし、自転車やバイクに乗る時にも重宝します。ここでのロゴは、バッグを飾る装飾品に近く、アクセサリーのようにバッグに華を添えます。持ち物の安全を守る留め具は今や、秘密の香りを詩的に漂わせるパーツです。

ブランドのアーカイヴを見直す作業は、皮革製品のデザインについて、ニコラス・ナイトリーのチームにインスピレーションを与えてくれるだけでなく、マーク・ジェイコブスがシーズンごとにランウェイで披露する創造性をより豊かに育む効果も持ちます。また、世界中のストアおよび顧客間の巨大なネットワークを通して提供される情報は、デザインチームが顧客の要望を把握するのに役立ちます。製品開発部門でのデザイナーのアイデア出しは、パタンナーや皮革素材の専門家との共同作業です。製品の品質基準は極めて高く、新製品の1つ1つに実施されるテストの回数も非常に多くなりました。時には、1つのアイデアに50回も変更を加えなければ完成に至らないこともありました。ただアーツィーのように、初回のテストで1つのバッグが生まれるケースもありました。専門家がこのように連携すれば、製品の隅々にまで確実に配慮を行き届かせることが可能になります。新しいモデルで、純粋に華やかさだけを追い求めることはできません。ルイ・ヴィトンのファミリーの一員としての特質を失うリスクは避けなければなりません。ファッションという1つの動的な事象の発展に、独自のかたちで寄与してきたルイ・ヴィトン。このラグジュアリーブランドの歴史が伝えるのは、つねに自身の出自を重んじる姿勢を貫いた、1つのブランドの物語です。さまざまなスタイルと用途を持つシティ・バッグが互いにつながり合って形作る大きな家系図は、それぞれが新しい時代を生きた記憶に新たな意味を付与してくれます。

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ナイロン・キャンバス生地のホコリは掃除機で吸い取るなどして除去すると良いです。
取手の付け根部分や、チャックの淵にたまりやすいホコリは、長く使っていると黒ずみの原因になりますので、
ガムテープやはたきで、はたいたりしてとりましょう。バッグの内側のメンテナンスも重要です。
革バッグなどの汚れは乾いたきれいな布でふき取るか、ブラッシングしてホコリを払いましょう。
汚れがひどい場合などは、市販の革製品用クリーナーを使うと効果的です。

【ニオイをとる】

香水や、化粧品、たばこ、飲食物、雨などで濡れたままの生乾き状態や、カビなどの臭いは、なかなか自分では気づきにくいもの。
使用後は風通しの良い場所などに一日干して臭いを取り、市販の防臭・防カビ剤などをバッグの中に入れて保管すると効果的です。

素材ごとの
メンテナンス方法

【革製品】

日常的に使うものですから、もちろん汚れが付くこともあるでしょう。しかし革製品は基本的には汚れには弱く、
放っておくとすぐに着色が移りシミなどになってしまいます。そのため、汚れたときはできるだけ早く対処しなければなりません。
革製品が汚れたときのために、できれば革用クリーナーを用意しておくのがベストですが、用意していない場合は、柔らかい布を水に濡らし、しっかりと 絞って水気をできるだけ抜いてから優しく汚れ部分を拭きましょう。
なお、濡れた布で汚れを拭き取ったあとは、しっかりと直射日光の当たらない場所で乾かすようにすることが大事です。
※男性の肌着として利用される綿のTシャツ、メガネ拭きなども適しています。

【エナメル素材】

家に帰ったらまずは柔らかい布で表面のほこりを落とし、お手入れしましょう。
汚れが付いたままで湿度が高いと表面のエナメルが酸化してくすんだり、汚れからカビになる原因になります。
柔らかい布にムースを付け、優しく全体的に拭いてください。しばらくしたら先程の布で乾拭きをすれば終了です。
ムースは同時に栄養も与えてくれます。半月から1か月に一度はこの方法でお手入れしましょう。
※くれぐれも革製品用のクリームは使わないでください。

【キャンバス素材】

歯ブラシやタオルに食器洗い洗剤(中性洗剤)を薄めて含ませ、汚れを溶かすようなイメージで叩きます。
最後に濡らして絞ったタオルに汚れと洗剤を移すようにして水拭きをします。この時に、洗剤が残ってしまうと、その部分だけ 洗剤染みができてしまったり、変色しますので、少ししつこいかな、と思うくらい洗剤と汚れを拭き取りましょう。
※洗う程でもないけれど・・・という場合は、プラスティック消しゴムで軽くこすって汚れを落としましょう。ただし、 こすり過ぎてしまうと、その部分だけ白くなり過ぎてしまいます。優しく、程よく、がポイントです。

【化学繊維素材】

染みやホコリがつきにくい反面、油汚れはつきやすい素材。水で薄めた洗剤(中性)を布に含んで全体を拭き取り、仕上げに乾拭きします。
形を整えて干しておくと型崩れ防止になります。

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